off-box.net — 「知ると100倍楽しいバルカン戦争」第5回【Balkan WarS宣伝記事】

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「知ると100倍楽しいバルカン戦争」第5回【Balkan WarS宣伝記事】

知ると100倍楽しいバルカン戦争、今回は「マケドニア」をあつかいます。今までの記事にはほとんど登場していませんでしたが、バルカン戦争の背景を扱ううえで重要な場所です。

そもそも、マケドニアという地名、あるいは国名を皆さんはご存知でしょうか。高校世界史でも登場する名前です。といってもそれはバルカン戦争の時、というよりは遥か遡った古代のマケドニア帝国についてです。フィリッポス2世の時代にテーベを破りコリントス同盟を結成してスパルタを除く全ギリシャを束ね、さらにその子であるアレクサンドロス大王はオリエント世界を統一し、インドにまで手をかけます。その死後、ディアドコイ戦争で帝国が分裂するとマケドニアにはアンティゴノス朝が建ち…といったところで世界史の教科書からは姿を消します。

翻って現在に目を移せば、マケドニア共和国という国があります。アルバニアの東、ギリシャの北にある国家です。マケドニアという地名自体はもっと広い範囲を指しており、ギリシャやブルガリア、またセルビアやアルバニアにもまたがっています。今後、マケドニアという地名が出てきたらこちらの概念を指しているとお考え下さい。このうちギリシャが全体の半分ほどを占めており、ギリシャ国内の地方名としても「マケドニア」という呼称が使われています。ユーゴスラビアの崩壊後、独立するにあたり、このような事情を持つギリシャが「マケドニア」という国名の独立国家が生まれることに反対し続けているという状況から、マケドニア共和国は世界の多くの国からは「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という名前で呼ばれています。

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さて、このマケドニアという地域は民族意識の確立が比較的遅く、また歴史的にはギリシャ、セルビア、ブルガリアのどこともつながりがありました。そしてバルカンの中でも大きい方の都市であったテッサロニキを抱え、商業的にも戦略的にも重要でした。当然、この地域はそれらの国々が目を付け、自国の領土にしようと画策しました。(ブルガリアについていえば、実現はしなかったもののサン=ステファノ条約での版図ではマケドニアにも伸びていました。) 教育や教会といった精神面でのものにとどまらず、マケドニアにおける武装組織の援助や、マケドニアへの武装集団の侵入にまで及んでいました。

このようなものの例がイリンデン蜂起です。イリンデン蜂起は内部マケドニア革命組織(VMRO)が中心となったものでしたが、ブルガリアの支援する最高マケドニア委員会がもともと計画したものでした。蜂起の中、クルシェヴォで共和国の設立宣言がなされますが、結局はオスマン軍に鎮圧されます。この蜂起が元となり、列強によるマケドニア問題への介入が試みられますが、結局失敗しています。

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また、武装集団の侵入の例としてはパヴロス・メラスというギリシャ軍人の殉死が挙げられるでしょう。彼はイリンデン蜂起の後、仲間とともにマケドニアへと侵入し、VMROと戦い、最終的にはオスマン軍によって殺害されます。彼はその後ギリシャのマケドニア獲得運動における象徴的な存在となります。(現在もテッサロニキには彼の名前を冠した自治体があります。)

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そして、バルカン戦争に際して、当然ながらこの地域をめぐって三国は対立します。ブルガリアに対抗すべく、セルビアとギリシャは妥協してマケドニアを分割することとなりました。しかしそれは先ほど述べたようなマケドニア共和国の呼称といった問題の遠因となっているのです。

全5回ということでお届けしてきました宣伝記事ですが、昨今の情勢を鑑みて記事が今後も追加されるかもしれません。そのときは是非ご拝読のほどをお願いします。