「知ると100倍楽しいバルカン戦争」第4回【Balkan WarS宣伝記事】
「知ると100倍楽しいバルカン戦争」第4回はいままであまり登場していなかったギリシャを扱いたいと思います。
ギリシャはバルカン諸国の中でも早くに自由を手にした国でした。1832年の独立後、ギリシャは王国となり、王位についたのはバイエルンの王家であるヴィッテルスバッハ家のオットー王子(ギリシア名オソン1世)でした。これは列強が決めたものでした。彼の時代、政治はバイエルン人によって進められました。当然ながらこれはアギリシャ人には受け入れがたいものであり、1862年に起こったクーデターでオソン1世は退位させられます。余談ですが、バルカン半島の国家における王家はクーデターなどによる退位で入れ替わる例が多くみられます。セルビアは第2回に述べたようにオブレノヴィッチ家とカラジョルジェヴィチ家の対立がありましたし、ブルガリアの初代の大公はバッテンベルク家のアレクサンダルでしたが1886年にクーデターで亡命したのち帰国できず、大公位は空位となったのちザクセン=コーブルク=ゴータ家のフェルディナンドがその座についています。ゲームには登場しませんがルーマニアも初代であるアレクサンドル・ヨアン・クザが反乱で退位し、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家のカロル1世が公位についています。少し毛色が違いますがアルバニアも独立時はヴィート家のヴィルヘルムが公位についたものの第一次大戦が始まると亡命してしまい、その後共和国となるも君主制が復活してゾグ家のアフメト・ゾグが王位についています。ギリシャに話を戻すと、オソン1世の退位後に、デンマークの王家であるグリュックスブルク家からゲオルク王子を迎え、ゲオルギオス1世として即位しました。彼の時代には立憲政治が行われるようになります。しかしながら、政治は不安定であり、領内には独立戦争期からの非正規武装集団が未だに残っている状態でした。
このような状況の中で1896年、クレタ島でのオスマンに対する反乱がありました。ギリシャはこれを支援し、クレタ島を自らの領土とすべく戦争を起こしますが列強の介入によりクレタ島の占領は阻止され、ギリシャ本土での戦いでも劣勢に陥りました。こうして戦争自体には敗北しますが、クレタ島は自治権を獲得し、総督にゲオルギオス王子が就任することになるなど、一定の成果ももたらされました。しかし、クレタ島の人々はこれに満足しませんでした。1905年、元はクレタ島自治政府の下で参事官を務めていたエレフテリオス・ヴェニゼロスの主導による蜂起が起こります。結果、ギリシャへの統合に対する積極性に欠けていたゲオルギオス王子を辞任させることに成功します。この後1908年に世年トルコ人革命が起こると、クレタはギリシャとの統合を宣言します。(正式にギリシャ領として認められたのはバルカン戦争の後です。)
さて、ギリシャ本土はといいますと、1909年に軍人によるクーデターが起こってしまいます。
この後、改革が進められる中で、クレタ島から、その政治手腕を買われて、エレフテリオス・ヴェニゼロスが招かれます。彼はその後の選挙で支持を固め、首相に任命されました。そして、憲法改正など数々の改革を成し遂げるだけでなく、対外的にもバルカン戦争での勝利へとギリシャを導いていくことになるのです。
次は「マケドニア」を扱います。